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峠の魅力2・・・

Photo_23 ”AE86”と聞いてジーンときた方は、かなりの通です。当時、私は86の魅力は分かりませんでした。トヨタ自動車が世間に送り出した、最後のFRピュアスポーツ(後輪駆動車)は、その後伝説の車として、今も世の中の車好きに語り継がれています。また、現在週間”ヤングマガジン”の”イニシャルD”にも登場します。86をメジャーにした人は、そう、レーシングドライバー”土屋圭市氏”です。Photo_2 長野・群馬の県境にある”碓氷峠”で、ドライビングサーカスを演じていたのは有名ですが、昭和50年代後半の車が、今日も現役で活躍できるのは、土屋さんの影響が大きいと思います。”D1グランプリ”でも、トップクラスのキャパシティーを持っています。(開発費は半端じゃないですが・・・)当時私は、そんな凄い車とも接点を持たず、92レビンに乗った3年間で、平均年間5万キロ以上の車ライフを楽しんでいました。また、ガソリンスタンドでバイトをしていた私は、毎日洗車とワックスがけをし、オイルやタイヤのチェックは欠かさない、無類の車好きであったのは言うまでもありません。よくお客さんに”そんなに磨くと車がハゲルぞ!!”と言われていました。92レビン時代に、車が部品の交換によってどんどん進化していくのを教えてくれた教科書であったのもここに書きとめておきます。新車で買ったレビンで最初に取り付けた部品は、ヨコハマタイヤのアルミホイール”クライテリア”でした。フィンタイプのアルミで、カッコ良かったぁ~♪それから、ハイグリップタイヤ、ブレーキパッド、ショックアブソーバー・・・と、距離に応じてメンテナンスの観点から部品交換していきました。そして初めての事故。。。ショックでした。。Photo_24 それまで、生活の中心だった車の傷は、自分にとって見た目以上に心の傷になったのを覚えています。当時、男にとってのステイタスと趣味の大半を占めていた車は、贅沢品でもありました。保険は、対人対物など相手に対する保障のみの契約で、高価な車両保険は入っていませんでした。気持ちだけでなく、懐まで痛かった・・・・どこでも良かった走行のジャンルは、いつしか同じ趣向を持った仲間との交流により、特定のステージの形成につながって行きました。”峠の主!”との出会いも、その後の私の人生にまで影響がありました。。。~続く~

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「車&バイク」カテゴリの記事

コメント

コメントせずにはいられない内容です。

私は、6台ハチロクを乗り継ぎましたがその内5台は、廃車(自損5台)という罰当たりな人間です。
内訳は、3Drトレノ 1 2Drトレノ 1 2Drレビン 4 でした。3Drの方がリアにネバリがあるのですが、なぜか2Drが好きでした。ハチロクにこだわったわけではなく、①扱いやすさ(壊れない)②安さ③速さ 結果がハチロクでした。

当時のライバルは、92のスーパーチャージャーで シビックタイプR(EK)が出た時点で、サジを投げました。
ハチロクの限界を感じた瞬間でした。

最近、知り合いの S2000に試乗させていただきましたが、ここまで来たかと思いました。パワーはともかくとして、前後左右のバランスが最高でした。
フルチューンのハチロクでも、S2000のライトチューンには、勝てないのではと思いました。時代の変化を感じます。

投稿: ジーンときた人 | 2006年5月 1日 (月) 22時15分

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